上田清司の経歴・学歴と生い立ち|4度の落選から衆議院、埼玉県知事16年、参議院まで

上田清司
ひと目でわかるプロフィール 上田清司
うえだ きよし
出身地
福岡県福岡市
初当選
1993年(第40回衆議院議員総選挙)
最終学歴
早稲田大学大学院政治学研究科修了
主な前職
自営業
政界入り
政党職員から、首長から
生年月日 1948年5月15日
血液型 AB型

上田清司氏は、国会と地方行政の両方で長い政治経験を重ねてきた政治家です。その歩みをたどると、選挙に勝ち続けてきた人物像とは異なり、政界入りの前後には長い試行錯誤の時期がありました。

福岡で過ごした少年・高校時代から、教師を志して上京した学生生活、政党の政策づくり、度重なる落選、そして国会と埼玉県政へ。ここでは、データ一覧だけでは見えにくい上田氏の人生を追います。

上田清司氏を理解する3つのポイント
  1. 教師を志した青年期から、制度や法律を通じて社会を変える政治の道へ進みました。
  2. 選挙での敗北を重ねながら選挙運動を組み直し、国会では行政や財政の仕組みに踏み込んでいきました。
  3. 国会から県政へ活動の舞台を移し、長期の知事経験を経た後に再び国政へ戻っています。

上田清司の生い立ち|大牟田で育ち、部活動にも打ち込んだ高校時代

1948年5月15日、福岡県福岡市に生まれ、大牟田市で育ちました。地元の福岡県立三池高等学校ではバレーボール部の主将を務め、学生時代から集団の中で役割を担う経験をしています。

上田清司の学歴|法政大学から早稲田大学大学院へ

上田氏は福岡県立三池高校を卒業後、法政大学法学部へ進み、さらに早稲田大学大学院政治学研究科で学びました。高校時代から政治を具体的な進路として意識していたことが、後年の本人答弁からも分かります。

大学院時代には生活費を得るため所沢で学習塾を開き、政治学の研究と「教える仕事」を並行して経験しました。学歴だけでなく、学生時代の実生活まで見ると、その後の経歴へのつながりが見えやすくなります。

学歴一覧上田清司の学歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校福岡県立三池高等学校―59(2026年度)卒業
大学法政大学法学部57.5〜62.5(2027年度・法学部)卒業
大学院早稲田大学大学院政治学研究科大学院は偏差値で単純比較しない修了

※偏差値・難易度は本人の在学当時ではなく、現在の入試難易度の目安です。高校は2026年度版、法政大学法学部は2027年度ボーダー。大学院は同じ尺度で比較していません。

高校卒業後は法政大学法学部へ進み、さらに早稲田大学大学院政治学研究科で学びました。本人がもともと考えていた職業は教師でした。

一方、政治への関心は高校時代にはすでに具体的な進路になっていました。知事時代に18歳選挙権について答弁した際、高校2年生だったころの考えを振り返っています。

「政治は制度や法律をつくり、国全体をよくすることができるものだ」

出典:埼玉県議会「平成28年2月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文(権守幸男議員)」(2026年5月11日掲載)

大学院時代には生活費を自分で賄うため、所沢で学習塾を開業しました。教師志望だった青年が、教える仕事を実際に経験しながら大学院で政治を学ぶ時期でもありました。

人生年表 上田清司さんの歩み
1948年5月15日
福岡県福岡市で生まれる
大牟田市で育つ
1975年3月
早稲田大学大学院政治学研究科を修了
法政大学法学部卒業後に進学
1976年
新自由クラブの結党に参画
党政策委員などを務める
1979年〜1986年
建設省建設大学校で非常勤講師
地域社会論や国土計画論を担当
1980年
衆議院議員総選挙に初出馬
旧埼玉5区で落選し、その後4回連続で落選
1986年
政策科学研究所政策委員に就任
渡辺美智雄氏の政策ブレーンを務める
1991年5月
埼玉建設産業協同組合を創立
理事長を務める
1993年7月
衆議院議員に初当選
5度目の挑戦で旧埼玉5区トップ当選
2003年8月
埼玉県知事選に初当選
衆議院から地方行政へ転身
2018年4月17日
全国知事会会長に就任
2019年8月30日
埼玉県知事を退任
4期16年で県政を離れる
2019年10月
参議院埼玉県選出議員補欠選挙で当選
国政へ復帰
2022年7月
参議院議員通常選挙で再選
埼玉県選挙区
2025年9月
国民民主党に入党
無所属で会派を共にした期間を経て正式入党

学習塾から新自由クラブの政策現場へ

1976年には新自由クラブの結党に参画し、党政策委員として基本政策づくりに携わりました。政治家として議席を持つより前に、政党の政策を扱う側から政治活動を始めています。

1979年から1986年までは建設省建設大学校の非常勤講師を務め、「地域社会論」や「国土計画論」を担当しました。新自由クラブ解党後の1986年には政策科学研究所の政策委員となり、渡辺美智雄氏の政策ブレーンを務めました。

同じ1986年からは、過疎地の活性化を掲げる地域資源活用機構で理事、常務理事、理事長を経験しています。1991年には中国・大連市からの技術研修生受け入れを進める埼玉建設産業協同組合を創立し、理事長に就きました。

選挙歴 上田清司の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第36回衆議院議員総選挙
定数:3 比例復活:該当なし
初出馬
旧埼玉 5区 新自由クラブ 落選 42,156票 5位
第37回衆議院議員総選挙
定数:3 比例復活:該当なし
旧埼玉 5区 新自由クラブ 落選 39,056票 5位
第38回衆議院議員総選挙
定数:3 比例復活:該当なし
旧埼玉 5区 新自由クラブ 落選 69,595票 4位
第39回衆議院議員総選挙
定数:3 比例復活:該当なし
4回目の落選
旧埼玉 5区 無所属 落選 54,418票 5位
第40回衆議院議員総選挙
定数:4 比例復活:該当なし
5度目の挑戦で初当選
旧埼玉 5区 新生党 当選 110,606票 1位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし
埼玉 4区 新進党 当選 72,420票 1位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし
衆議院3期目
埼玉 4区 民主党 当選 106,131票 1位
埼玉県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
知事初当選
埼玉県 無所属 当選 808,092票 1位
埼玉県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
知事2期目
埼玉県 無所属 当選 1,093,480票 1位
埼玉県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
知事3期目
埼玉県 無所属 当選 1,191,071票 1位
埼玉県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
知事4期目
埼玉県 無所属 当選 891,822票 1位
参議院埼玉県選出議員補欠選挙
定数:1 比例復活:該当なし
国政へ復帰
埼玉県 選挙区 無所属 当選 1,065,390票 1位
第26回参議院議員通常選挙
定数:4 比例復活:該当なし
参議院2期目
埼玉県 選挙区 無所属 当選 501,820票 2位

上田清司氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

国会答弁と政府の説明責任

ガソリン暫定税率と地方交通

基礎控除と最低生活

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

上田清司の経歴|4度の落選と、5度目でつかんだ衆議院の議席

最初の衆議院選出馬は1980年です。当時の旧埼玉5区に新自由クラブから立候補しましたが落選し、その後も1983年、1986年、1990年と議席に届きませんでした。

後年のインタビューでは、敗北を重ねる中で選挙区ごとの得票や活動方法を分析し、選挙運動を組み直していった過程を語っています。

「負けるのはまぐれじゃなくて、必ず原因があるのが選挙。」

出典:選挙ドットコム「前埼玉県知事・上田清司氏インタビュー『野党という弱い立場、少ない人数で戦うために知恵を絞って選挙の技術を磨き続けた』【選挙の鉄人】」(2019年9月20日)

1993年の衆議院選では新生党から旧埼玉5区に出馬。5度目の挑戦で衆議院議員に初当選し、しかも選挙区トップの得票でした。

小選挙区制導入後の1996年には新進党から埼玉4区で当選。新進党解党後は1998年に新しい民主党の結成に参加し、2000年の衆院選でも埼玉4区の議席を守りました。

特別会計を追った衆議院議員時代

衆議院では災害対策特別委員長、大蔵委員会筆頭理事、決算委員会筆頭理事、議院運営委員会理事などを経験しました。民主党では行政改革を担当するネクスト大臣も務めています。

議員時代に継続して関心を向けた分野の一つが、一般会計の外側に広がる特別会計でした。2003年2月の衆議院財務金融委員会では、省庁をまたぐ資金の流れに十分な改革が及びにくい仕組みを取り上げています。

「本当の財布は特別会計だ」

出典:国会会議録検索システム「第156回国会 衆議院 財務金融委員会 第6号」(2003年2月25日)

この質疑に対し、塩川正十郎財務相も問題意識を共有し、省内で検討する場を設けていると答弁しました。上田氏の国会活動には、個別の予算項目よりも資金が流れる制度そのものを追う姿勢が見られました。

2003年、衆議院から埼玉県知事へ

衆議院議員を3期務めた後、2003年8月の埼玉県知事選に無所属で立候補しました。それまで築いてきた国会での立場を離れ、衆議院から埼玉県知事へ転じた選挙です。

知事就任後に前面へ出したのは、行政組織にも費用や成果への意識を持たせる考え方でした。国政で行政改革を扱ってきた上田氏が、今度は自ら自治体を運営する側に回りました。

県庁を「経営体」として見る改革

退任を控えた2019年の県議会では、16年間の県政運営を振り返り、就任時から掲げていた言葉を改めて示しています。

「県庁を優れた経営体とする」

出典:埼玉県議会「令和元年6月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文(松坂喜浩議員)」(2019年7月12日)

具体例として挙げたのが、さいたまスーパーアリーナを運営する株式会社さいたまアリーナです。2003年度には県が4億8,000万円の補給金で赤字を補填していましたが、2005年度に黒字へ転換しました。

2006年度以降、県への納付金は2019年の答弁時点で累計83億8,580万円になったと説明しています。職員には、日常の仕事を見る「虫の目」、全体を見る「鳥の目」、時代の流れを見る「魚の目」を持つよう求めました。

生活保護世帯の子どもへ広げた学習支援

福祉分野では、2010年度から生活保護世帯の子どもへの学習支援を始めました。「アスポート事業」と呼ばれ、学習教室などを通じて子どもの進学を支える取り組みです。

県議会答弁では、貧困の連鎖を断ち切る施策として全国に先駆けて実施したと説明しています。その後、生活困窮者への学習支援は国の生活困窮者自立支援制度にも組み込まれていきました。

糖尿病重症化予防と発達障害支援

健診データから人工透析リスクへ働きかける

糖尿病対策では、国民健康保険の健診データなどから重症化リスクが高い人を抽出し、未受診者への受診勧奨や保健指導を行う「埼玉県方式」を進めました。

県医師会や専門医と協力し、人工透析への移行を防ぐことを狙った事業です。その後は県内市町村へ展開され、国の「骨太の方針2018」では全国展開の参考となる先進・優良事例として埼玉県が紹介されました。

発達障害を早期に見つける人材を増やす

発達障害支援では、県内の発達障害児を約6万人と推計し、早期発見を担える人材の数を増やす施策を進めました。

2011年度から5年間で、保育園、幼稚園、小学校などの教職員1万549人を支援人材として養成。その後、発達障害総合支援センターを開設し、相談や支援を担う体制を整えました。

東日本大震災で受け入れた福島の避難者

2011年3月の東日本大震災では、福島県などから埼玉県へ避難する人々の受け入れに対応しました。さいたまスーパーアリーナには一時、多数の被災者が避難しています。

その後、旧騎西高校では福島県双葉町の役場機能と住民を受け入れました。行政機能を含む広域避難への対応は、知事時代の災害対応の中でも大きな出来事となりました。

政治人生の転機 上田清司の政治人生の転機
01
1980年〜1993年
4度の落選から衆議院初当選へ
旧埼玉5区で4回の落選を経験した後、1993年の衆院選で初当選。
なぜ転機なのか 13年間続いた候補者生活から国会議員へ立場が変わったため。
02
2003年
衆議院から埼玉県政へ
衆議院議員3期を経て埼玉県知事選に立候補し、初当選。
なぜ転機なのか 国会での立法・行政監視から、自治体経営を担う首長へ活動の場が変わったため。
03
2019年
知事退任後、参議院で国政復帰
4期16年で埼玉県知事を退任し、同年の参院埼玉補選で当選。
なぜ転機なのか 長期にわたる県政運営を終え、再び国会を活動の舞台としたため。
04
2025年9月
国民民主党へ正式入党
参議院では無所属で同党会派に参加した時期を経て、国民民主党へ入党。
なぜ転機なのか 無所属から政党所属へ政治活動上の立場が変化したため。

4選と多選自粛条例をめぐる論点

知事在任中に大きな政治的論点となったのが、多選自粛条例と4選出馬の関係でした。上田氏が提案した条例は、知事が「連続して3期を超えて在任しないよう努める」とする努力義務の規定でした。

2015年、上田氏は後継候補を探したものの条件が合わなかったこと、市長会や町村会などから出馬要請を受けたことを説明し、4選へ進みました。

これに対して埼玉県議会は同年7月2日、条例を遵守するか、4選を目指すのであれば条例の改廃を提案するよう求める決議を採択しました。県議会では上田知事に対する問責決議も行われ、本人が提案した条例と4選出馬の整合性が争点になりました。

上田氏は同年8月の知事選へ出馬し、4選を果たしました。条例は立候補資格を法的に失わせる禁止規定ではなく、本人に課された努力義務として議論されたものです。

全国知事会長を経て、参議院へ

2018年4月17日には全国知事会会長に就任しました。全国の知事を代表する立場を務めた後、2019年8月30日に埼玉県知事を退任。知事在任は4期16年に及びました。

県政を離れた直後の同年10月、参議院埼玉県選出議員補欠選挙へ無所属で立候補し、参議院議員として国政へ戻りました。2022年の通常選挙でも埼玉県選挙区から当選しています。

参議院で続ける財政・金融の議論

参議院でも、衆議院時代から扱ってきた財政や行政の仕組みに関する質疑を続けています。2026年4月の予算委員会では、税収の上振れ分を国民生活へどう還元するかを取り上げました。

「国民に富を返すという視点がない以上、この国は良くならない。」

出典:国民民主党「【参予算委】上田清司議員が税収上振れの活用について質疑」(2026年4月27日)

この質疑では、住民税の控除額引き上げ、年少扶養控除の復活、障害福祉の所得制限撤廃などを提案しました。

同年6月の財政金融委員会では、融資と組み合わせた変額保険をめぐる問題を質問しました。金融庁の監督や過去の行政対応、生命保険会社による顧客資金の不適切な取り扱いへの対応などを取り上げています。

無所属を経て国民民主党へ

参議院へ戻った後は無所属議員として活動し、国民民主党と参議院会派を共にしていました。その関係が党籍の変更に至ったのは2025年9月です。

国民民主党は同月16日の両院議員総会で上田氏の入党を承認。国民民主党への正式入党により、参議院復帰後続いていた無所属の立場を終えました。

「党が日本の政治の真ん中に座ることができるように尽力していきたい」

出典:国民民主党「上田清司参議院議員が国民民主党に入党」(2025年9月16日)

動画で見る上田清司氏の発信

上田氏はラジオ番組「上田清司の日本再生」に出演し、政治や社会の動きを継続的に語っています。放送後には制作局が再編集した番組をYouTubeで配信しています。

上田清司氏の現在情報

2026年9月3日 時点
現在の公職 参議院議員
現在の所属 国民民主党
選挙区・選出地域 埼玉県選挙区
現在の期・任期 参議院議員2期目
現在の主な役職
国民民主党副代表兼参議院議員副会長 国民民主党代表選挙管理委員長 国民民主党埼玉県連常任顧問・選挙対策本部長 参議院財政金融委員会理事

財政政策では税収上振れ分の国民生活への還元や住民税控除、年少扶養控除などを取り上げ、金融分野では変額保険をめぐる監督行政などについて国会で議論しています。

関連書籍
上田清司さんの著書・関連書籍
上田清司 熱伝導知事
書籍
上田清司 熱伝導知事
著者:大下英治 / 出版社:埼玉新聞社 / 発売日:2007年06月

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参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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